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鉄砲洲稲荷橋湊神社、鉄砲洲築地門跡:広重の名所江戸百景 |
(77景 鉄砲洲稲荷橋湊神社) 八丁堀が隅田川に注ぐ河口のあたりに細長い洲があって、鉄砲洲と呼ばれた。ここで大砲の演習をしたことに基づく。鉄砲洲の一角に稲荷神社があって、別名を湊神社とも波よけ神社ともいった。現在でも存在する。 鉄砲洲は桧垣廻船や樽廻船が寄港する場所であった。それらの廻船は、ここで荷を小舟に積み替えて、江戸市内の掘割をたどって最終消費地に運ばれていった。 この絵は、八丁堀の河口付近から、江戸市中を眺めた構図。手前に大きく描かれた帆柱は、廻船のものであろう。画面左手の赤い塀は湊稲荷神社、それに隣接する橋が稲荷橋である。小舟が多く描かれているが、これらは廻船の舟から積み込んだ荷を、市中に向って運んでゆくのであろう。 (78景 鉄砲洲築地門跡) 鉄砲洲とその周辺の浅瀬を、明暦の大火(1657)以後埋め立てて新たな市街地とした。その埋め立て地を築地と呼んだ。その築地の一角に、浅草にあった西本願寺が明暦の大火で焼けてしまったので、真宗の門徒が金を出し合って、新たな堂を建設した。 西本願寺は築地門跡と呼ばれた。門跡とは本来、住職に皇族を戴くものをいうが、築地本願寺は、京都の西本願寺の直轄寺院である。 築地本願寺は、江戸湾を望む場所に立っており、そこを行きかう舟からもよく見えた。この絵は、そんな様子を描いたもの。おそらく灯台のような機能も果たしていたのだろう。 |
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