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品川すさき、目黒爺々が茶屋:広重の名所江戸百景



(83景 品川すさき)

品川は東海道の最初の宿場であり、また漁場でもあった。目黒川の河口に牛の舌のように洲崎がのびていて、そこに漁師たちが住んでいた。漁師たちは、とった魚を幕府に納めるかわりに、ここでの漁猟を許されていた。

洲崎の一角に洲崎弁天とよばれる祠があった。この絵は、その祠と周辺の光景を描いたもの。祠は海際の松林の中にあり、その社前に漁師たちの家が並んでいる。絵は、その一端だけを描く。

画面左手前に屋根が描かれているのは、当時有名だった妓楼「土蔵相模」。水戸浪士たちはここから桜田門に向って井伊直弼を切り、また高杉晋作らはここを活動拠点としていた。川島雄三の映画「幕末太陽伝」の舞台となったのも、この妓楼だ。画面右手奥には、お台場の一部が描かれている。その周辺に停泊している船は、桧垣廻船か樽廻船であろう。


(84景 目黒爺々が茶屋)

目黒のあたりを流れる目黒川の北側が台地になっていて、南西方向に下り坂になっていた。その下り坂の途中に爺々茶屋と呼ばれる茶屋があった。三代将軍家光が、このあたりで鷹狩をした際にこの茶屋で休憩し、主人に爺々と呼びかけたことから、そう呼ばれるようになったという。だから結構歴史の古い茶屋なのである。

また、十代将軍家治が鷹狩にやってきたとき、当時の主人が団子と田楽をこしらえて出したところ、将軍がえらく喜んだ。その団子をさんまにかえて、落語目黒のさんまができたという説もある。

茶屋からは富士がよく見えた。そこからこの茶屋を富士見茶屋とも呼んだ。絵はその様子を描く。富士の手前に見える山塊は、丹沢の山々である。





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