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南品川鮫洲海岸、千束の池袈裟懸松:広重の名所江戸百景



(109景 南品川鮫洲海岸)

南品川あたりの海岸地帯を鮫洲といった。いまでは陸運事務所や高専がある場所として知られているが、徳川時代には海苔の産地として有名だった。海苔はもともと墨田川の河口で養殖されていたが、江戸の市街地の拡大で需要が増えると、品川沖が一大産地となった。その品川沖でとれた海苔が、どういうわけか浅草海苔と呼ばれるようになったのである。

この絵は、その浅草海苔の養殖風景を描いたものだ。大小の木の枝を組みあわせて海中に沈めておくと、海苔が付着する。それを秋ごろに摘み取って、簀子の上で乾燥させ、干し海苔をつくるのである。

南側から北の方向を眺めた構図なので、遠景の山は筑波山のようだが、それにしては不釣り合いに大きく見える。広重の誇張だろう。


(110景 千束の池袈裟懸松)

千束池は、徳川時代には、周囲の田甫の灌漑用水を供給していた。その名の由来には諸説あるが、一番有力なのは、日蓮上人が旅の途中ここで足を洗ったことから洗足池と呼ばれるようになり、それが千束に転化したという説である。現在も池の傍らにある説明版に、そのように記されている。

その池のほとりに袈裟懸松と呼ばれる松があるが、これも日蓮上人と結びつけて解説されている。日蓮上人が池で足を洗う際に、袈裟を脱いでこの松に懸けたというのである。

この絵は、池の南側から北の方向を眺めたもの。画面右手中ほどに見える松が、袈裟懸松である。また手前の道は中原街道。東海道のバイパスとしての機能を果たしていた。





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