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虎の門外あふひ坂、びくに橋雪中:広重の名所江戸百景



(113景 虎の門外あふひ坂)

赤坂の溜池が外堀と接するところは段差になっていて、ちょっとした瀑布状を呈していた。また、その瀑布に沿って勾配状になっており、あふひ坂と呼ばれた。

この絵は、虎ノ門あたりからあふひ坂を眺めた構図。瀑布が大袈裟に描かれているが、これは広重の誇張であろう。実際には、水の段差も坂の勾配ももっと緩やかだった。

画面右手奥に見えるのは内藤藩の上邸。手前の二人の男は、提灯に金毘羅大権現と書かれているところから、虎ノ門の金毘羅神社に参った帰りであろう。裸なのは、寒中修業の最中だからだ。彼らの背後の屋台は、太平しっぽくとあり、うどん売りである。また、その先を歩いているのは、二八蕎麦屋。蕎麦を十六問で売っていた。


(114景 びくに橋雪中)

びくに橋は、京橋川が外堀から分岐するところにかかっていた。付近に比丘尼宿があったことから、そう呼ばれるようになったと言う。比丘尼とは尼僧のことではなく、街娼をさしたようだ。

この絵は、橋の北側からの眺め。左手に山くじらとあるのは、イノシシの肉をくわせる店。猪肉を山くじらと呼んでいた。その向かいに〇やき十三里とあるのは、サツマイモの丸焼きを売る店。サツマイモは、クリに味が似て、くり(九里)より(四里)うまいことから、九里四里合わせて十三里と洒落たわけだ。

右手奥に見える石垣は、外堀添いの石垣。その上から白い雪がしげく降る様子が寒々と見える。





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