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相州七里ヶ浜、武陽佃島:北斎富嶽三十六景



(相州七里ヶ浜)

天保二年刊柳亭種彦「正本製」十二編下巻の巻末広告に、「或は七里ヶ浜にて見るかたち、又は佃島より眺むる景など」とあるとおり、七里ヶ浜と佃島の絵は、ベロ藍で描かれた10枚の作品に含まれる。この画面では、他の染料も含まれているが、これは増し摺りの際に施されたのだろう。版画は、増し摺りのたびに、色の組み合わせを変化させることが多い。

七里ヶ浜は、鎌倉市街の西はずれにある砂浜で、その更に西には江の島がある。この絵は、七里ヶ浜から江の島越しに見た富士ということになっているが、見た印象は、実景とはだいぶ異なる。画面右手に突き出た半島のような島が江の島のつもりらしいが、七里ヶ浜からは、江の島はこんな風には見えない。また、江の島の先に、二つの小さな島が浮かんでいるが、これも実景ではあるまい。

この絵も、構図上の都合が、目の前の実景より優先された事例の一つと言える。


(武陽佃島)

佃島は、隅田川の河口付近に浮かぶ島。いまでは月島と一体化して、高層ビルの林立するシュールな空間になっているが、徳川時代には、孤立した島で、本土とは渡し船で結ばれていた。

この絵の中の佃島は、周囲の船と比較して余りにも小さく描かれており、昔から北斎愛好家の中では、そのバランスの悪さが指摘されてきた。また、本土から非常に遠く離れて描かれているが、現在では佃大橋で本土とつながっているように、そんなに離れているわけではない。

そんなわけで、北斎が何故、こんなにバランスを欠いた絵を描いたのか、大きな謎となったままだ。







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