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江戸日本橋、江都駿河町三井見世略図:北斎富嶽三十六景



(江戸日本橋)

日本橋は、江戸の中心として、また諸街道の始まるところとして、特別の重みを持っていたので、様々な絵師によって描かれた。北斎は、これを富士と組み合わせることで、富嶽三十六景のひとつに仕立てたわけだ。だが、ちょっと見ただけでも、これが実景と異なることは、誰もがすぐに気づくだろう。絵は、日本橋の上から江戸城方面を眺める形になっているが、富士はその方向には見えない。したがってこの絵は、北斎の拵えものだとわかる。

この絵は、当時西洋絵画から伝わった遠近法を意識的に用いて描かれている。一つの消失点に向って収斂していくようになっているわけだが、これは従来の日本画には見られなかった斬新さだ。北斎の構図が斬新なのは、この西洋風の画法と日本伝来の画法を自由自在に組み合わせるところにある。

日本橋そのものは、画面の手前の方に一部だけ姿を見せている。橋の欄干に擬宝珠があることから日本橋だと判るのである。橋の上には大勢の人々が行きかっているが、何故かそれらの多くが、橋の進行方向ではなく、こちらの方に顔を向けている。


(江都駿河町三井見世略図)

三井とは三井呉服店、又の名を越後屋といった。現在の三越百貨店の前身である。徳川時代には、駿河町(いまの日本橋室町通り)の通りを挟んで両側に店を構えていた。その狭間から日本橋方向を見ると、その先に富士が見える。だから、この絵は実景に近い。ひとつ実景と違うのは、日本橋のあるべきところに、石垣やら松の林があることだ。これは江戸城のつもりなのか。なぜ、こんなものを描き入れたのか、よくわからない。

構図は、東都浅草本願寺とよく似ている。職人が屋根に上って仕事をしているところや、凧が上っているところも同じだ。

なお、この場所から見た富士は、こんなに大きくはないはずだ。富士の描く線が、屋根の線と調和して、構図に一定のリズム感をもたらしている。







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