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北斎漫画十二編 |
北斎漫画は、文化十一年(1814、北斎55歳)に初版を刊行して以来、北斎存命中に十三編、死後も含めれば十五編が刊行された。北斎がこれを刊行した主な理由は、弟子やファンたちのために絵手本を提供することであった。その目的は大いに応えられ、北斎漫画は国内のベストセラーになったばかりか、ヨーロッパにも輸出されて、かの地の画家たちに大きな影響を与えたとも言われる。 絵手本という目的からして、実用中心のものが殆どだが、中には、手本であることを超えて、北斎自身の遊びが盛り込まれている編もある。それが、天保年間、富嶽三十六景とほぼ同じ時期に刊行された十二編である。 この編は、(絵を含んでいる)本体部分が58ページあり、人々の滑稽な仕草や空想上の事柄まで、北斎が想像力を働かせた様々な図柄が盛られている。ここでは、その一部を紹介する。 (達磨のにらめっこ、肝が芋に成る) 右手は達磨の睨めっこをしている様子。上が縦、下が横、というのは、それぞれ顔を引っ張っている方向を表す。 肝が芋に成るとは、肝を潰して役立たずになったという意味か。男たちの肝を潰したのは、蛸の化け物である。 (屎別所、蚯蚓の天上) 右が屎別所。屎別所とは便所の謂である。便所の中で主人が糞を垂れている間、従者たちが表に控えている。徳川時代の武士は、糞をしているところを家来に見られても平気だったと言われる。むしろ、糞というものは、一人でするものではないと思っていたフシがある。 蚯蚓の天上とはどういうわけか、よくわからない。なにか猥褻な意味があるのかもしれない。 (鰻登り、風呂屋) 右は鰻登り。三匹の鰻が天上に向って登って行く所へ、男たちがしがみついている。鰻は威勢のよさの象徴だったらしい。単純に笑える絵である。 徳川時代の後半まで、風呂屋は男女混浴だった。光熱水費節約のためである。 |
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