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越渓観楓図:富岡鉄斎の世界




富岡鉄斎が本格的に絵を描き始めたのは29歳の頃からだ。画家としては遅いスタートだが、鉄斎自身は自分を画家とは思っていなかった。自分はあくまでも文人なのであって、絵は文人としての余技と思っていた。それでも結構の量を描き、いまでも若い頃の作品が多く残っている。だが、それらには素人らしい未熟さが見られる。鉄斎は、長生きしており、晩年まで創作意欲が衰えなかった。かえって晩年に及ぶほど優れた作品が多い。

「越渓観楓図」と題したこの絵は、明治二年近江に遊んだときの作品。時に鉄斎は32歳だった。紅葉狩りをしたついでに近江八幡の寺村家に宿泊したさい、主人の求めに応じて描いたもの。絵は人の求めに応じて描くという、鉄斎の主義の現われだ。

モチーフは紅葉だ。越渓とは近江八幡近くの紅葉の名所なのだろう。そこに遊んだときの感興を画面に定着したのだと思う。渓谷の斜面に沿って高くせりあがる紅葉の様子を、さらりとした筆致で描いている。鉄斎独特のギラギラした雰囲気はまだ見られない。

賛には自作の詩を記している。いわく、「遥かに寒山を望めば霜葉紅なり、白雲斜めに鎖す梵天宮、孤筇掣げ去る楓林の路、人は樊川が詩句の中に在り」。これは杜牧の有名な詩「山行」をもじったものである。いわく、「遠く寒山に上れば石径斜めなり、白雲生ずる処人家有り、車を停めて坐に愛す楓林の晩、霜葉は二月の花よりも紅なり」

(1869年 紙本着色 137.6×48.5cm 宝塚市、清荒神清澄寺)





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