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梅若神社、向島桜:小林清親の東京名所図



(梅若神社)

梅若神社は、梅若伝説を踏まえた梅若塚というものが、後に神社に祭られたものだ。この伝説は十世紀後半に成立したもので、梅若丸という京の子供が人買いにかどわかされ、奥州に向かう途中に、隅田川を渡ったあたりで倒れた。人買いはそのまま捨てて去り、梅若丸は死んだのだが、土地の者が死んだ梅若丸を不憫に思って塚を築いて葬った、というものである。

足利時代に、世阿弥が能「隅田川」のなかで、この梅若丸と、彼の行方を追って都からはるばる訪ねてきた母親の、悲しい物語を謡った。その後、梅若を名乗る能の一派も出来た。

これは明治初年の梅若塚の様子。神社といっても、塚を本体とする質素なたたずまいだ。現在の梅若塚は、向島の防災拠点の中の木母寺内に再建されている。木母寺の木母は、梅の字を分解して出来た名である。


(向島桜 明治十三年)

隅田川の吾妻橋から桜橋の間の両岸は、東京有数の桜の名所である。徳川時代から庶民に親しまれ、明治以降は、隅田川の治水工事や東京大空襲などで甚大な損害をこうむりながらも、平成の今日も、見事な花を咲かせ続けている。

これは明治初年の向島堤の様子を描いたもの。花見に集まった人々が、陽気に戯れ、中には踊っているグループもいる。滝廉太郎作曲の「春のうららの隅田川」を絵に描いたものといえよう。







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