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築地明石町:鏑木清方 |
「築地明石町」は、昭和二年(1927)の第六回帝展に出展して、大変な評判となった。清方自身もいささか恃むところがあって、大きな反響を喜んだようだ。この絵は、鏑木清方の代表作として、いまでも評価が高い。 築地明石町は、明治初年に外人居住区が設けられて以来、エキゾチックな雰囲気をたたえていたという。そういう雰囲気の場所に、和風の女を配したこの絵は、組合せの妙もあって、評判を呼んだようだ。 築地は海が近いので、おそらく風が強いのだろう。女は両袖を合わせて、その中に腕を入れ、寒さをしのいでいるように見える。また、きりりと顔を向けている方向は、風が吹いてくる方向なのだろう。女の足元には、生け垣に絡まった朝顔が見えるから、季節は夏なのだ。にもかかわらず寒さを感じさせるのは、風のせいなのだろう。 これは女の上半身を拡大したもの。モデルは農商務省の役人江木某の妻ませ子。清方の妻照と同窓生で、清方の絵のファンでもあったという。その絵のモデルに選ばれ、しかもいまでも名作として人の目に触れるわけだから、モデルになった甲斐があろうというものだ。なお、この絵は清方の死後行方不明になり、40年以上姿を消していたといういきさつがあった。 (1927年 絹本着色 174×74㎝ 東京国立近代美術館) |
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