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楊貴妃:上村松園の美人画




上村松園は、日本風の美人を描く一方、若い頃から唐美人も好んで描いた。これは円山応挙以来の円山・四条派の伝統を踏まえたものだ。四条派は清から輸入した風俗的な美人画を手本として多くの美人画を製作した。それは商業的な成功を収めた。松園の場合には、商業的な動機はなく、美人画の一ジャンルとして割り切っていたようだ。

松園の唐美人画は、大正時代の後半に幾つかの大作を生み出した。「楊貴妃」はその代表的なもので、松園はこれを、大正八年に発足した帝展に出展した。

若い頃の松園は、絵の修行に励むかたわら、漢学の勉強もした。松園にはある種の文人意識があったようで、漢学は不可欠の教養と考えていた。長尾雨山の指導で、長恨歌をみっちり学んだという。その成果がこの絵には現われているようである。

長恨歌の一節に、
  春寒賜浴華清池  春寒くして浴を賜ふ 華清の池
  溫泉水滑洗凝脂  溫泉 水滑らかにして 凝脂を洗ふ
  侍兒扶起嬌無力  侍兒扶け起こせば嬌として力無く
  始是新承恩澤時  始めて是れ新たに恩澤を承くるの時
  雲鬢花顏金布搖  雲鬢 花顏 金布搖
  芙蓉帳暖度春宵  芙蓉の帳暖かにして春宵を度る
というのがある。この絵はその一節の語るところをそのままイメージ化したように見える。そのイメージが強烈で、松園としてはめずらしく、女は裸体をさらしている。

(1922年 絹本着色 二曲一双 161.0×189.0cm 奈良市、松柏美術館)





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