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少年文庫表紙絵:竹久夢二の美人画




画家としての竹久夢二のキャリアは、雑誌や新聞の挿絵を描くことから始まった。かれの独得の表現は、大衆相手にわかりやすい絵を描くことに発していたといえよう。当時の大手出版社であった博文館の編集者から目をかけられ、いろいろな媒体に絵を発表する機会を得た。二十歳をすぎたばかりの時である。

その頃の作品を代表するものとして、早稲田文学発行の雑誌「少年文庫」の表紙絵がある。この雑誌は島村抱月が主宰していたもので、夢二は抱月やかれの愛人松井須磨子にかわいがられたようである。

少年と少女が並び立ち、その合間に犬が座っている図柄は、なんともほほえましい。これは「壱之巻」つまり創刊号であったから、夢二はすでに画家としての力量を広く認められていたのだと思う。かれの画家としての修行は、ほとんど独学といってよかったから、天性の才能に恵まれていたのだろう。

この年に、岸たまきが二人の子を郷里の富山に残し、単身東京に出てきて、早稲田鶴巻町に絵葉書店「つるや」を開店した。その店を訪れた夢二はたまきに一目ぼれし、出会ってからわずか二か月後に結婚した。たまきは夢二のために三人の子供を生んだが、結婚後二年で離婚。離婚後も別居と同居をくりかえした。

夢二はそのころ、平民新聞にもかかわっており、たまきとの結婚記事を出したりもした。また、幸徳秋水の社会主義思想にも接したが、社会主義者になることはなかった。

(1906年 竹久夢二伊香保記念館)




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