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渉成園:日本の庭園




渉成園は、東本願寺の飛地境内地である。東本願寺本体は、慶長七年(1602)に十二代門主教如上人が徳川家康から寺地の提供を受けて成立したが、その後十三代門主宣如上人の時に、家光から現在地を寄進されたのを受けて、承応二年(1653)にそこを自らの隠居所とした。渉成園という名称は、陶淵明の詩「帰去来辞」の一節「園日渉而以成趣」からとったという。また、周囲に枳殻を生垣として植えたことから枳殻亭とも呼ばれた。

庭園は、池泉回遊式庭園であり、石川丈山が作庭にかかわったとされる。京都の庭園のなかでもとりわけ優れた眺めと言われ、文政年間には頼山陽が「渉成園十三景」を紹介したほどだった。歴代門主の隠居所となったほか、明治天皇の御小休所ともなった。

教如上人が千利休と親交があったことから、東本願寺は歴代茶の湯にかかわりがあり、園内には茶室をはじめ茶にかかわる施設が多数配置されている。

庭園は大小二つの池を中心にして、それらの周りを回遊式の散策路が巡っているほか、二つの池を小さな水路で結んでいる。

これは臨池亭(左側)の前の小さいほうの池。臨池亭は、隣接する滴翠軒(向こう側)と吹流しの廊下でつながっている。



卯月池(大きいほうの池)に浮かぶ島と岸辺をつなぐ侵雪橋。木造の反り橋で、頼山陽は雪の降り積もったこの橋を玉龍にたとえた。



卯月池越しに、回棹楼(左手)と縮遠亭(右手)を臨む。回棹楼も岸辺と島を結んでおり、桧皮葺の屋根を持つ橋である。



回棹楼の傍らに泉の吹き出し口がある。獅子吼といって、池の水の水源となっている。もっとも現在では、池水の大部分は地下水をくみ上げているそうである。



回棹楼の内部。



縮遠亭のある島から対岸の漱枕居方面を望んだところ。漱枕居は縮遠亭とともに茶室であり、池に乗り出すように建てられている。







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