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京都観庭記4:大原三千院・宝泉院



(大原三千院、往生極楽院阿弥陀堂)

一乗寺下り松からバスを乗り継いで、午近く大原についた。三千院へ向かう渓流沿いの山道を歩き、門前のとある茶屋に入って腹ごしらえをする。ビールを飲みながら食うそばはなかなか野趣に富んだ味だ。旅の醍醐味は一日中酒を飲んでも、誰からも咎められることがない点だ、などと勝手なことを云いながら、皆そばをすする。

三千院は「京都大原三千院」という歌で有名になり、いまでも女性には人気のある観光スポットだ。それ故、さも古い寺に違いないと、誰もが思うところだろうが、三千院の本体は明治時代になってここへ移転してきたものだ。それ以前ここには、極楽院という寺があった。現存の三千院はこの極楽院を取り込むような形で造営されたというわけである。

その極楽院の本堂だったのが阿弥陀堂と呼ばれる建物で、平安時代の初期に建てられたという。観光写真で有名になったから、その姿は誰もが見たことがあるだろう。

阿弥陀堂の周辺には、自然の地形を生かした大規模な庭園が広がっている。有清園といって徳川時代の初期に造営されたものだという。他にもうひとつ、こじんまりとした池泉回遊式庭園がある。こちらは聚碧園といって、徳川時代の茶人金森宗和の作になるという。


(宝泉院)

三千院門前の参道を奥へ向かって歩いた先に宝泉院がある。小さな寺だが、美しい庭園を持つことで知られている。参観料を一人当たり八百円も取られたのは、この美しい庭園に自信があるからなのか。ともあれ、ひとり八百円を支払って中に入った。

僧坊に入ると、眼の前に美しい庭園が現れた。それだけではない。美しい女性が現れて、茶を給仕してくれた。茶を飲みながら眼前の庭を見ると、趣きが倍加すると見えて、なかなかいい眺めだ。庭のまんなかに巨大な松の木が生えているが、これは五葉の松といって樹齢五百年を超える古木だという。

この寺は天台宗の末寺で、声明の修学地として有名なのだそうだ。声明とは申すまでもなく、お経の文言を、節をつけて唱えるもので、あたかも音楽を聴いているような感じを受ける。西洋音楽の源流はミサとよばれる西洋式読経であったといわれるが、東洋音楽の源泉はこの声明であったといわれる。筆者の古い友人に、声明をベースに音楽を作っている男がいるが、その男に言わせると、音楽とはそもそも人間の情念を神にささげるところから始まったのであって、声明はそうした原初的な音楽の形を最も色濃く保っているものなのだそうだ。

その声明を、今日は聞くことが出来なかったが、そのかわりに水琴の音を聞くことが出来た。これは水琴窟といって、縁側の一隅にしつらえてある竹の筒の仕掛けに耳をあてると、床下にある地下水の動く音が聞こえるというもの。筆者も竹の筒に耳をあてて音を聞いてみたが、たしかに地下水が動く音が聞こえて来た。その音があたかも声明のように聞こえたのであった。

この寺にはもうひとつ庭園があった。近年作庭したばかりだといい、名を宝楽園という。案内書きには、「<仏神岩組雲海流水花庭>を趣向し、地球太古の創世に遡り、その原初の海を想像した庭園です」とある。なんだかよくわからぬが、枯山水風の洒落た庭園であった。

茶のサービスといい、枯山水のおまけといい、八百円を支払った価値は十分にあったといえよう。

後鳥羽帝と順徳帝の陵を脇目で見ながら門前に戻り、そこの土産店にて柴漬けを買った。ここの柴漬けは全国的に有名で、なかなかうまいのだそうだ。そういえば、大原の里は聖護院大根で名高いところでもあった。






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