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京都観庭記7:天龍寺・嵐山・錦市場



(天龍寺曹源池庭園)

京都御所を辞した後、地下鉄と路面電車を乗り継いで嵐山に至った。まず天龍寺の庭園を見ようというので、嵐電の駅から天龍寺方面に向かって歩く。途中、湯豆腐屋が看板を出しているのが見える。そうだ、おとといは高くてまずい湯豆腐を食わされたから、今日はひとつうまい湯豆腐を食いたいものだ、という話になり、天龍寺の見物が終ったら渡月橋あたりで適当な店に入ろうと語り合った次第だ。

天龍寺の庭園は、西芳寺のそれと同じく夢窓国師によって造営されたものである。国師は後醍醐天皇の死を深く悲しみ、その鎮魂の場としてこれを作ったといわれている。実際借景としての背後の亀山には御醍醐帝が葬られているし、様々な点で後醍醐帝をしのぶよすがが込められているというが、浅学の筆者にはよく見分けがつかない。

様式としては、曹源池を中心にした池泉回遊式庭園である。背後の亀山を借景としてとりこんでおり、非常に雄大な規模を誇っている。我々は池の周りから北門の方向へ向かって歩み、更に山腹の上の方にも登って行ったが、それは上の方に枯山水があると思ったからであった。しかしそう思ったのは錯覚で、どうも西芳寺とごっちゃにしていたようだ。西芳寺の庭園は上下二段からなり、下段に池泉回遊庭園、上段に枯山水を配している。同じような構成は金閣寺にも見られるというが、天龍寺には見られないというわけだ。


(渡月橋)

うまい湯豆腐を食わせる店が渡月橋の向う岸にあるとOがいうので、皆でそちらに向かって歩いて行った。渡月橋は昨年の大水で冠水し、その折に中の島も大きな被害を蒙った。その話題をYが持ち出して、中州の被害はどれほどだったのか、と筆者に聞くので、筆者は橋の中程で下の方を指さし、ほら、ごらんのとおり跡形もない、ということは洪水で流されてしまったのに違いない、と答えた。Yがへんな表情を見せるので、筆者はガイドブックの地図を示し、ほら、橋の下に中州があることになっているのが、ないではないか。きっと、昨年の水で流されてしまったのだよ。下流のあのあたりの川幅が随分狭くなっているが、あれは中州の土砂が流れ着いて堆積したのに違いない、と重ねて講釈すると、Yはますます不思議な表情をする。

渡月橋を渡ると、そこは中の島だ。Yがいっていたのはこの中の島のことで、筆者が言っていたのは橋下の中州のことだから、二人の話がかみ合わないのは当然なのであった。Oが推奨の湯豆腐屋はこの中の島の一角にあったが、いまだ昨年の水害から回復しておらず、店は閉まっていた。そのほかにも何軒かの料理屋が並んでいるが、そのほとんどは店じまいしたままだ。

反対側にうまそうな湯豆腐屋がたしかあったはずだ、とYがいうので、引き返して橋を渡り、川沿いにある松の枝という店に入った。純和風の作りの店で、湯豆腐会席を売り物にしているようだ。是非もなく中に入り、席に着くと、湯豆腐会席を注文した。これがなかなかうまい。京都に来て初めて湯豆腐らしいものにありつけた、という感じだ。湯豆腐には燗酒があうというので、御銚子のほうも進んだ次第だった。


(錦市場)

食後、帰りの列車まで時間のゆとりがあるので、錦市場に立ち寄ることにした。阪急電車で四条烏丸までいき、そこから錦小路を歩いて、錦市場に入り込んだ。ここに来るのは初めてのことだ。屋根付きアーケード街で、日本版パサージュといったところだ。狭い通り沿いに、主として食品を商う店が櫛比している。食い物という食い物で、ないものはないといった具合に、ありとあらゆる食品が商われている。上野のアメ横など、足元にも及ばないほど、濃密な商業空間だ。京都人の胃袋を支えていることが実感できるというものだ。

筆者は自分のために千枚漬けを買い求め、家内のために可愛い柄の手拭いを買い求めた。

市場通りの突き当りに神社があり、その前は新京極通りになっている。市場通りとは直角に交差していて、同じくアーケード街だが、こちらのほうは食品ではなく、日常生活品が商われていた。

こんなわけで、三日間の京都旅行もあっという間に過ぎてしまった。テーマをしぼったおかげで、結構問題意識を持ちながら歩き回ることが出来た。老人の身で今更勉強というのも柄ではないが、少しは勉強にもなったと思う。






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