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京都祇園祭の旅その四:永観堂、南禅寺、平安神宮



(永観堂阿弥陀堂)

午後一時二十分ホテルを辞し、京都駅前より市バスに乗りて南禅寺・永観堂の停留所にて下車す。そこより歩みて数分のところに永観堂禅林寺あり。禅林とは称すれど禅寺にはあらず。念仏寺なり。平安時代創建の古刹にて、日本の念仏寺の嚆矢たりし由なり。山の斜面の起伏を生かして複雑なる伽藍配置を施す。山の麓に御影堂あり、阿弥陀仏を安置す。山の上腹に阿弥陀堂あり。いはゆる見返り阿弥陀を安置す。


(永観堂庭園)

この寺は、念仏はさておき、俗人には鮮やかなるもみじにて知らるるなり。季節を得たれば全山真紅に染まるといふ。また、回遊式庭園にも見るべきものあり。


(南禅寺山門)

ついで南禅寺を訪問す。石川五右衛門啖呵を切るといふ例の巨大な山門を見上ぐるに、その威容時空を超越するかの如く感ぜられたり。一外国人夫婦より、記念撮影の手伝を頼まれたるついでに、二三言葉を交す。


(南禅寺疎水)

山門をくぐれば巨大な水路の構築物あり。レンガ造りの構造物にて、琵琶湖より引きたる疎水の一部を分流せしむるなり。構築物の傍らに、盛んに水の流るるところあり。分流せる水なるべし。


(南禅院庭園)

水路をくぐりて小高き丘に登れば南禅院なる庭園あり。池泉回遊式の興趣に富める庭なり。


(金地院庭園)

金地院は南禅寺の塔頭にて、瀟洒な庭あり。回遊式の庭と枯山水なり。この枯山水を鶴亀の庭と言ふ。枯山水に石庭を組み合はせたるものなり。


(平安神宮)

ついで疎水沿の道を歩み、平安神宮に至る。強大な赤鳥居の奥に広がる社殿と回遊式庭園は、平安遷都を記念して明治時代に造営せられたるものなり。神社にして、その結構寺院を思はしむ。

平安神宮前よりバスに乗り、京都駅に至り、ホテルに戻る。暑気と疲労重なり、無理は禁物と覚えたれば、再びホテルにて小憩し、夕刻食事に赴かんとおもふなり。

午後六時頃、三度ホテルを辞し、地下鉄に乗りて四条烏丸に至り、そこより歩みて先斗町に至らんとするに、四条通り交通遮断せられてあり。祇園祭の行列を通すためと思し。


(四条河原の川床)

先斗町入口のいづもやなる店に入る。鴨川に面し、川床を設けてあり。この席に座するものは等しく京懐石を注文すべしといはれ、是非なくうけがひて席に座せり。付出を肴に生ビールを飲み始めしが、料理の追加なかなが出て来ず。関東者の性分にて、いささかイライラせしが、料理が出て来ざるは余のみならず。みな一様なり。されども、客の一人として不満をいふものあらず。これ京都人の性分なりや、あるひは店の人手が不十分なりや、余もそのうち覚悟して腰を据ることにしたり。

九時頃祇園祭の行列、四条橋の上を通過す。還幸祭の行列なり。先ほど四条通が遮断されてありしは、この行列を通すためなるが如し。

この夜出されたる料理の品は十品なり。おほかた冷たきものなるなかに、温かきはてんぷらとうなぎ丼なりき。食ひ終ふるに要する時間実に三時間なり。

バスに乗らんとして四条河原町交差点に至れば、四条通は未だ封鎖せられてあり。よって河原町通り経由のバスに乗り、京都駅に至る。ホテルに戻りしは十時半頃なりき。







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