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京都祇園祭の旅その五:西陣、北野天満宮



(安部清明像)

七月廿五日(土)晴。この日は、午前中に西陣を歩み、午後は鞍馬の山を訪ねんと欲す。朝餉をなして九時にホテルを辞す。京都駅前よりバスに乗り、一条戻橋にて下車し清明神社に参る。この神社は安部清明の居宅跡に祀られしものにて、境内には陰陽師安部清明にまつはるさまざまなる逸話紹介してあり。その中には今昔物語集中の式神にまつはる逸話もあり。清明が何故神体に祭り上げられたるか、いづれ古代日本人の信仰のあり方を反映せるならん。


(西陣会館内)

ついで、西陣織会館に立ち入る。西陣織についての宣伝を目的とせるものにて、機の実物を展示して、糸の織り方の特徴を説明してあり。折から、一階の舞台上にて呉服のファッションショー催さる。入場中の中国人団体客へのサービスなるべし。中国人ら、さかんにカメラのシャッターを切り、珍しそうに眺めをりたり。マネキン嬢はみな長身にて均整のとれたる体つきなり。この折に限らず、こたびの旅行中にはいたるところにて中国人を見かけたり。日本にゐるやら中国にゐるやら区別つかざるが如くなり。


(首途神社)

堀川通りから今出川通りに左し、知恵光院の交差点を右するや首途神社なるものあり。首途とは「かどで」と読むなり。都落ちしたる義経が、この地にて旅の安全を祈り奥州に向けて旅たちたる故事から首途神社とはいふなる由。


(釘抜地蔵)

本隆寺の先を左し、上立売通りをしばらく行くに釘抜地蔵なる祠あり。この神社人々の苦難を除くところから「苦抜地蔵」と呼ばれをりしが、「くぬき」が転訛して「くぎぬき」になれる由、由緒書に記してあり。いまだにその効験はあらたなるがごとく、大勢の女たち苦難よけの願をかけてあり。すなはち、五寸釘の形せるものを苦難の数ほど握り、堂をぐるぐると回りながら、一週回るごとに釘を一つ収む。かくてすべての釘を収め終れば、苦難は退散するといふなり。庶民の信仰いまだ衰へざるを目のあたりにし、すこぶる感興を催したり。


(西陣の機屋)

上立売通り周辺は西陣織の中心にて、それらしき民家のたたずまいをも目にすれど、機の音を聞くことなし。桐生などと比して、もはや仕舞屋での機織はすたれたるかと思ひをりしところ、千本釈迦堂に向かふ路地の一角にてシャカシャカといふ機の音を耳にす。なんとなく懐かしき音なり。

千本釈迦堂は大報恩寺ともいひ、真言宗の古刹なり。その本堂は十三世紀初期の創建のままの姿にて、国宝に指定されをる由。


(北野天満宮前の露天)

続いて北野天満宮に参る。大鳥居の前より内陣にかけての道沿に夥しき数の露天天蓋を並べてあり。その多くは骨董を商ふ。先年東寺の境内にてみたる露天と同じやうなるものなり。結構商売になるものと見え、中には書画骨董を買ひ求むる西洋人もあり。

参拝して今出川通りに出るに、折よく銀閣寺方面行きのバス来たれば、それに飛び乗り、出町柳駅に下車す。恰も昼時なれば、停留所近辺なるとあるイタリア食堂に入り、生ビールと牛肉のボロネーゼを注文せり。







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