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京都古寺巡り(その一)東寺、西本願寺


平成二十六年六月一日(日)この春旧友らとともに京都へ遊び、庭園巡りをなせしところなりしが、その折の旅情にひかされて、次は古寺の仏像を見歩かんと思ふに至りぬ。ついては、誰ぞ同行の者もがなとも思ひしが、仏像ばかりを見て歩く計画に乗る者はなし、単身行くこととなす。もっとも、その方が気楽な旅を楽しむには都合よろしとすべし。

早朝荊婦に送られて家を辞し、東京駅八時三分発の新幹線ひかり号に乗る。今年よりJRの特別会員になり、ひかり号を割安料金にて乗れるやうになりたれば、わざわざひかり号に乗るなり。のぞみ号より余分に要する時間は二十分ほどなれば、これにても十分足れりとすべし。

車内にて缶ビールを飲みつつ荊婦より持たされたる握飯を食ひ、新聞を読みなどするうち、列車は十時四十分過ぎに京都駅に到着す。八条口の近鉄ホテルに荷物を預け、タクシーを雇ひて東寺に向かふ。こたびの旅行の目的は仏像見物とはいひても、密教美術を中心に考へをれば、まずは京都における密教の総本山たる東寺を訪ねんとは思ひしなり。


(東寺の伽藍群)

九条通りに面せる南大門より境内に入るに、古物商の露店所狭しと立ち並びてあり。中には面白さうなる骨董品も見かけたれど、物色すべき時間の余裕あらざれば、遠目に見るのみにて通り過ぐ。

拝観料五百円を支払い、講堂、金堂を順に見る。講堂には大日如来を中心にして曼荼羅の諸仏・諸天並びをれり。この堂は、建物と内部の彫刻類すべて国宝なり。金堂には、阿弥陀三尊像安置せられてあり。こちらは、建物は国宝なれど、内部の三尊像はみな重文指定なり。

五重塔は寺院の塔としては日本一の高さを誇る由。ただし創建時のものにはあらず、現存するものは徳川時代の初期に家光の寄進になるものといふ。塔の傍らには小規模な池泉庭園ありて散策するものに日陰をさしのべてあり。

ついで食堂を見る。堂内に両界曼荼羅の複製品展示せられてあり。売物なりといふ。値札を見るに、価実に四百三十二万円なり。食堂に隣接して大師堂あり。入口に立札ありて記す、捨犬、捨猫は固くお断り致します、と。世の中には、弘法大師に犬猫の運命を託する者の絶えざるが如し。

東寺を辞してのち、付近のうどんやに立ち入りて東寺うどんなるものを食ふ。ゆばと九条ねぎをうどんの上に載せたるものなり。なかなかの味なり。

そこより歩みて数分のところに梅小路公園なるものあり。市立の公園にて、市電が展示されをるほか、水族館もあり。大勢の子供らの姿を目にす。


(西本願寺本堂と阿弥陀堂の渡り廊下)

また歩みて数分にして西本願寺に至る。南側の正門より入らんとせしが、閉門せられてあり。東側の堀川通りにまわるに、こちらは開門せられてあり。ここは拝観料をとらず、自由に立ち入ることを許す。余はまづ本堂に立ち入り、そこより渡り廊下を通って阿弥陀堂にまはる。本堂内、法要を営む人々の一群あり。

東門の門前に参道らしき小道あり、その一角に洋風の建物立てり。築地の本願寺を設計したる伊東忠太の設計するところといふ。

境内の北東の隅に太鼓楼なるものあり。かの新撰組が屯所を置きしところといふ。新撰組は、西本願寺が長州と深き縁あることに止目し、長州藩に圧力をかけんがためにこの寺を拠点にしたるなりといふ。

太鼓楼前よりタクシーを雇ひ、三十三間堂に向かふ。当初の計画にては、これにて見物を終了しホテルに向かふ心積りなりしが、思ひがけず時間に余裕ありしかば、欲ばりしなり。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2014
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