日 本 の 美 術
HOMEブログ本館日本文化美術批評東京を描く水彩画動物写真 |プロフィール掲示板



京都古寺巡り(その十)宇治平等院



(平等院鳳凰堂)

一時頃南門より平等院の境内に入る。平等院の建物は平成の大修理といはるる修理を経てこの春落慶したるばかりといふ。二年半ぶりの開帳とあって見物客も多しとみえ、見物するに時間交代制を採用してあり。余は一時三十分の組の切符を手渡されたり。

時間を待つ間、観音堂を見物す。この堂、この寺のそもそもの本堂なりし由。これも本来池に面して立ちをりしが、後にいまの地に移築せられたりといふ。

六十数名が一組となり、学芸員に先導せられて鳳凰堂の内部に入る。中堂の堂内をふさぐやうにして巨大な阿弥陀像安置せられてあり。これは定朝手作りの作として歴史上評価の高き美術品なり。高さは四メートルばかり、いくつかの木材を寄せて作る所謂寄木作りの傑作なり。その表情はおだやかさのなかにも決然とした意思を感じさせ、人々をもれなく救済すといふ仏の慈悲をあますところなく表現してあり。

また仏の周囲の壁には、雲中供養菩薩像と呼ばるる木彫りの仏像五十二体嵌め込まれてあり。いづれも精妙な彫刻なり。そのうち半分の二十六体は取り外されて美術館に保存展示せられてありといふ。また、紙面の扉と壁には、阿弥陀来迎図を描きている。阿弥陀来迎図としては、歴史上もっとも古きに属する由なり。ただし、顔料剥落して、輪郭の定まらざるもの多し。

また壁の正面には円形の窓うがたれてあり。この窓を通じて、前面の池の対岸から仏の頭部をのぞきみることを得るといふなり。


(鳳凰堂正面の覗き窓から見た阿弥陀如来の顔)

見物を慌しく済ますや、池の対岸に立ちて件の丸窓を見る。目を凝らすに、たしかにそこに仏の顔を望み得たり。

その後鳳翔館なる美術館に立ち入る。ここには鳳凰堂から切り離されたる雲中供養菩薩像二六体と鳳凰像二体展示せられてあり。目前に見る供養菩薩像は実に精妙に彫られゐたり。これもまた定朝一統の制作になるものなるべし。

平等院を辞して後、宇治川に並行する路地を歩む。両脇に屋台立ち並びお祭り気分なり。落慶祝ならんか。JR宇治駅より電車に乗りて京都駅に戻る。その後駅構内の土産物店街を物色して歩き、荊婦に依頼されし物を買ふ。その品のなかに阿闍梨餅なるものあり。いくら探しても見当たらざるゆえ、店員を捕まへて聞くに、この日は製造会社の定休日にあたり入荷なきゆえ、いづれの店にても買ふことを得ずと。随分迂闊な商売ぶりといふべし。

買物の後ホテルのロッカーより荷物を引きだし、喫茶店に一憩。更に改札内の売店にて弁当と酒を買ひ求め、一六時三十三分の特急ひかり号に乗りぬ。弁当をさかなに酒を飲むうち、岐阜羽島駅あたりより雨降りだせしが、名古屋に至る頃いったん止み、東京に近づくにつれてまた降りだしぬ。こたびの旅は、歩きながら雨に打たるることなく、幸運なりしといふべし。





HOME京都古寺巡り









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2014
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである