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千住の大はし、小梅堤:広重の名所江戸百景



(103景 千住の大はし)

千住は奥州街道の一つ目の宿場であった。また日光街道や水戸街道も千住を通ったので、交通量は非常に多かった。参勤交代でこの宿場を利用した大名の数は、64家に及んだ(寛永期の場合)。そこで家康は、防衛上の観点から江戸の周囲に橋を設けない方針にかかわらず、ここだけは橋を作らせた。千住大橋である。

千住宿は、当初は橋の北側の北千住だけだったが、後に南側にもでき、北千住、南千住と呼ばれるようになった。大名のほとんどは北千住を利用し、南千住は町人たちの利用が多かった。

この絵は、南千住から千住大橋越しに北千住の方向を眺めた構図。荒川に浮かんでいる船は、物資を輸送するものだろう。北千住の河岸に、筏に組んだ材木が描かれているが、千住は材木の集積地でもあった。遠景の山は日光の連山。


(104景 小梅堤)

小梅は、向島の隅田川沿い一帯の地名。名称の由来は、牛島神社の梅にあると言われる。その小梅村の墨田堤を小梅堤と呼んだ。墨堤とも言う。

この絵は、墨堤ではなく、曳舟川とその堤を描いたもの。曳舟川については33景でも紹介したところだが、もともとは江戸に水を供給する亀有上水が、後に廃止されて輸送用の水路になったもの。

川の向こう側の土手は水戸街道の脇道。街道とは言っても、人家の数はあまり多くはない。のどかな風景である。





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