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王子音無川堰棣、川口のわたし善光寺:広重の名所江戸百景



(19景 王子音無川堰棣世俗大滝ト唱)

音無川は、飛鳥山と稲荷神社の高台の間をぬって流れている。その上流部にはいくつかの滝が連なっていることから、滝野川とも呼ばれる。滝野川は、北区の南部を総称する地名にもなっている。

この絵にある音無川堰棣とは、いま音無親水公園になっているあたりにかけられていた。絵は、音無川の下流から上流を望む構図だから、左手が飛鳥山、右手が王子稲荷の高台になっているはずだ。

この堰棣は地形からして、実際には高低差もあまりなかったと思われるが、絵には十メートルもあろうかと思われるような、大きな滝として描かれている。江戸の庶民はこの堰棣を大滝と呼んでいたそうである。


(20景 川口のわたし善光寺)

川口の渡しは、岩槻街道の岩淵宿と川口宿を結んでいた。橋がかかっていないので、人々は船で川(隅田川)を渡って対岸に行った。善光寺は、川口宿の近くにあった。信濃の善光寺の別院だという。徳川時代には善光寺信仰が高まったので、人々は信濃まで行かずにお参りできるとあって、参詣者が絶えなかった。

将軍家が日光参りをする際に、警備上の理由などで、千住大橋を渡らずに、この渡しを船で渡った。その際には、船を並べてその上に板を渡し、その板の上を進んだという。八代将軍吉宗が日光参りをしたときには、御供の武士13万人、人足22万人、馬32万頭がこの渡しを通過したというから、渡り終えるまでに一日を費やしたのではないか。

この絵は、岩淵側から対岸を見たもの。多くの船の行き違う様子が描かれている。向こう側に見える建物が善光寺だろう。





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