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目黒千代が池、目黒新富士:広重の名所江戸百景



(23景 目黒千代が池)

目黒千代が池は、島原藩下屋敷にあった小さな池。いまの目黒駅の北方面にあった。台地の上にあり、湧水が集まって池となったらしいが、結構古い歴史をもっていたようだ。名称の由来となった千代とは、南北朝時代の武将新田義興の愛人の名である。その千代が、恋人義興の死を悲しんで身を投げたことから、千代が池と呼ばれるようになった。

これは池の手前から下屋敷のある台地の方向を眺めたもの。右手には湧水が池に流れ落ちるさまが描かれている。台地の土手には桜が満開に咲いている。なお、桜の背後に松の林が見えるが、このなかにある衣掛松という木は、千代が身投げにあたって衣を脱いでかけたと伝えられている。

遠景に見える夕日から、方向を知ることができる。


(24景 目黒新富士)

徳川時代には富士講が流行り、江戸の各地に人造の富士山が作られた。本物の富士山に行けない人々が、それにのぼって登山の醍醐味を味わう一方、富士への信仰心を満足させたというわけであった。

目黒新富士と題したこの絵は、そうした人造富士の一つを描いたもの。この人造富士は、蝦夷地の探検で有名な近藤重蔵の別荘の敷地内に作られたもの。別荘は目黒の槍が崎にあり、玉川用水から別れた三田用水が流れていた。絵の図柄は、その用水に囲まれるようにしてそびえる人造富士の様子を描くもの。

遠方に見えるのは本物の富士、その手前には大山から丹沢にかけての山々が見える。人造富士の背後の緑の中に見える屋根は、祐天寺だろうと思われる。





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