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みつまたわかれの淵、大はしあたけの夕立:広重の名所江戸百景 |
(57景 みつまたわかれの淵) 隅田川が新大橋の下流で大きく湾曲するあたりに中州という地名がある。かつてはその名の通り周囲を水に囲まれた中州があった。一旦は埋め立てられて、そこに両国と並ぶ歓楽街が出来たが、墨田川が度々氾濫するので、水流をスムーズにする目的で西側が掘削され、再び中州になった。 中州の下流には箱崎という島があった。この島を加えた全体の水の流れが三俣になっているところから、ここらあたりを三俣と呼ぶようになった。 この絵は、中州の上流側から箱崎方面を眺めた構図。手前には隅田川を行きかう舟が描かれ、遠景には富士がそびえている様子が描かれている。右側に見える赤い塀は、下総佐倉藩の下屋敷である。 (58景 大はしあたけの夕立) 元禄六年(1693)に、隅田川にもう一つの橋がかけられた。上流部の橋(両国橋)が大橋と呼ばれていたので、こちらは新大橋と呼ばれ現在に至っている。この橋は、日本橋の浜町から深川の籾倉へ渡した橋だった。その籾倉の付近に、将軍の御座船安宅丸の舟塚があり、そこから安宅という地名ができた。かつての大商社安宅産業発祥の地でもある。 この絵は、日本橋側から、橋を隔てて隅田川の対岸を臨んだもの。安宅と思われる場所には、幕府の船倉が連なっている様子が、雨に煙りながらもかすかに見える。 ゴッホがこの絵に心酔し、油彩のコピーを描いたことは広く知られている。この絵の大胆な構図にインスピレーションを掻き立てられたのだろう。とくに、雨を避けようとして走り回る人々の様子が、画面に独特の緊張感を持たせている。 |
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