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浅草川首尾の松御厩河岸、駒形堂吾嬬橋:広重の名所江戸百景



(61景 浅草川首尾の松御厩河岸)

首尾の松とは、浅草御蔵の一角にあった松の木を言う。浅草御蔵は浅草橋を出て数丁行った先の墨田川沿いにあった蔵で、幕府の直轄地から収められた年貢米を貯蔵していた。この年貢米を旗本や御家人に分配する仕事を請け負ったのが札差。かれらは後に、扶持米を担保にして、旗本たちに金を貸し付けたりして、巨富を築いた。

浅草御蔵のあるあたりを蔵前と呼ぶようになり、またその上流の右岸を御厩河岸と呼んだ。御厩河岸には、浅草と本所を結ぶ渡し船が運行された。この絵は、その渡し船やら、屋形船を描いたもの。屋形船の上部に首尾の松の枝が垂れ下がって見える。

浅草御蔵は船を係留するための堀が櫛状に連なっていて、その第四堀と第五堀の間に首尾の松があったという。


(62景 駒形堂吾嬬橋)

駒形堂は、いまでは駒形橋のたもとにあたるが、徳川時代には浅草寺の総門の近くにあった。人々は浅草寺にお参りするついでに、駒形堂にもお参りした。この堂は馬頭観音を祀っており、馬の守護神であるとともに、旅の安全を守ってくれる神としても信仰された。

絵は、左手前に駒形堂の屋根を描き、その先に吾嬬橋を描いている。吾嬬橋は、徳川時代に隅田川にかけられた最後の橋である。

右手に材木が見えるが、この辺りには材木屋があった。また、赤い幟は、小間物屋紅屋の広告である。白粉や紅などを売っていた。また夜空に飛んでいる鳥はホトトギス。遊女高尾が詠んだという歌に「ぬしはいま駒形あたりほととぎす」というのがあり、広重はそれにインスピレーションを受けてこれを描いたのだろうとする説もある。





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