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綾瀬川鐘か淵、堀切の花菖蒲:広重の名所江戸百景



(63景 綾瀬川鐘か淵)

綾瀬川は埼玉県内を流れ、墨田川が千住大橋の先で大きく湾曲する部分に流入している。いまでは荒川放水路によって、綾瀬川本流はそちらのほうへ合流してしまい、河口付近の一部が盲腸のような形で残っているに過ぎない。その盲腸部分のやや下流にあるのが鐘ヶ淵村だ。かつて鐘紡の工場があった。

この絵は、綾瀬川が隅田川に合流するあたりから上流を眺めた構図。遠景に綾瀬川から分流する水路が見えるが、この辺りには水路が網の目のように通っていた。綾瀬という名は、そうした水路が綾をとるように見えたことから名づけられたと言われている。

手前に見えるのは合歓木。綾瀬川の土手は合歓木で有名だったという。また、川をいく筏は、材木を組んで運ぶ様子だろう。千住大橋の北詰には大きな材木問屋があったというから、そこから筏に積んで注文先まで運んでいるのだと思われる。


(64景 堀切の花菖蒲)

堀切のあたりは、いまではすっかり住宅地になってしまったが、徳川時代には水路が縦横にめぐり、水郷地帯の趣を呈していた。その水郷の地の利を生かして、水耕植物の栽培が盛んだったが、花菖蒲もその一つ。

徳川時代の中ほどに、百姓伊右衛門というものが、花菖蒲の栽培を始めたといい、それはいまでも盛んである。単に菖蒲を植えて人の目を楽しませるだけでなく、品種改良なども行った。

この絵の中の菖蒲園はかなり広大にみえるが、実際にはもっとこじんまりしていたと思われる。手前の菖蒲を思い切り大きく描くのは、広重一流の遠近法である。又地平線を赤く塗るのも広重の特徴だ。





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