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写楽の役者絵


花菖蒲文禄蘇我・沢村宗十郎の大岸蔵人:写楽
二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木:写楽
三代目坂田半五郎の藤川水右衛門:写楽
三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよ:写楽
三代目市川八百蔵の田辺文蔵:写楽
三代目瀬川菊之丞の田辺文三妻おしず:写楽
敵討乗合話・三代目市川高麗蔵の志賀大七:写楽
中山富三郎の宮城野:写楽
四代目松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛:写楽
花菖蒲思簪・八代目森田勘彌の駕籠舁鶯の次郎作:写楽
恋女房染分手綱・市川蝦蔵の竹村定之進:写楽
市川男女蔵の奴一平:写楽
谷村虎蔵の鷲塚八平次:写楽
四代目岩井半四郎の乳人重の井:写楽
三代目坂東彦三郎の鷺坂左内:写楽
二代目沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊:写楽
豊国と写楽



東洲斎写楽は、一時は謎の絵師と呼ばれたものだ。まず、正体がはっきりしない。そこで、歌麿の仮の名だとか北斎の分身だとか、色々と言われたものだが、今では、阿波徳島藩お抱えの能楽師斎藤十郎兵衛とする説が定着しつつある。彼の正体がこんなにも漠然としていたのには、いくつかの理由がある。

まず、画家としての活躍期間が異常に短いこと。彼が画家としてデビューしたのは、寛政六年五月のことだが、その翌年の一月には画壇から消え去っている。その活躍期間はわずか数か月と言う短さだ。これは、普通の職業的な画家としては形やぶりと言える。

写楽はその短い期間に百数十点にのぼる浮世絵を作ったが、出来栄えは、当初が最も良く、時間がたつにつれてぞんざいになっていった。しかも、画風にも大きな変化が見られる。普通の画家ではこんなことはありえない。画風の変化というものがおこっても、それはある程度の時間の間隔を伴うものだ。わずか数か月の間に画風を幾度も変化させ、しかもそれがだんだん劣化していくというのは、考えがたいことである。

また、写楽の画は、デビュー当時から社会の注目を浴び、写楽はあっというまにスター絵師になったわけだが、これも普通の画家としてはありえないことだった。普通の画家は、下積み期間を経て世間の評判をとりながら、次第次第に出世するものだった。写楽のように、デビュー即一流画家というのは、まず考えられなかったのである。しかも、写楽のデビュー作には、当時非常に金のかかった雲母摺りの技術が施されている。こういうことも、写楽が、大家の仮の姿、あるいは版元である蔦屋自身であるのではないかとの憶測を呼んだわけである。

写楽は短い間に画風を変化させたといった。その変化を研究者たちは4つに区分している。第一は、デビュー直後の時期。これは、役者の大首絵と呼ばれる一連の半身像からなり、28枚ある。これらは、寛政六年五月における、都座、桐座、河原崎座の三座の舞台に取材したものである。

第二は、寛政六年七月(都座、河原崎座)と八月(桐座)の舞台に取材したもの。半身像が全くなくなり、代って役者の全身像が描かれる。

第三は、寛政六年十一月及び閏十一月の三座の舞台に取材したもの、及び相撲絵など。この時期には、描く対象や描き方に多様化が見られる。第四は、寛政七年一月の舞台に取材したものや、武者絵などである。

この短い時期を通じて、写楽の画風は変化していったわけだが、それがプラスの方向にではなくマイナスの方向に動き、次第に下手糞になっていたわけなのである。

そういうわけで、写楽の作品の中では、第一の時期の28枚の大首絵が代表作ということになっている。他の時期の作品にも優れたものがないわけではないが、写楽と言えば、この28枚について語れば、それで十分だとされているほどである。

この28枚の役者絵を通じて伝わってくる写楽の画風について。それを考えるヒントとしてよく引用されるのが、太田南畝の著作「浮世絵類考」の中の「あまり真を描かんとてあらぬさまにかきなせし故、長く世に行はれず」という一節である。「あまりに真実らしく描こうとして、かえってあらぬさま(真実らしくない様子)に描いた」といっているわけだが、これはどういうことか。

おそらく、役者の特徴を誇張したために、かえって真実らしくなくなったということを言いたいのだと思うが、その見方には逆の見方もありうる。つまり、誇張することによって、役者の外面のみならず内面までも目に見える形であらわれてくるのだと。その真実があまりにもあからさまだったので、写楽の画は人々の度肝を抜いたともいえる。写楽が短い期間で消えて行ったのは、28枚の役者絵で発揮されていた写楽特有の誇張が次第に影をひそめ、いわゆる写楽らしさが失われたことの結果だったともいえる。

このサイトでは、写楽の初期の大判錦絵28枚について、鑑賞と解説を行いたい。






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